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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和41年(行コ)1号 判決 1974年9月18日

控訴人 有村篤義 外一名

被控訴人 国

訴訟代理人小沢義彦 外五名

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、当裁判所も、原審と同様、控訴人らの被控訴人に対する本訴各請求をいずれも失当として棄却すべきものと判断する。その理由は次の1、2のとおり訂正付加するほかは、原判決理由の説示と同一であるから、これを引用する。<証拠省略>のうち、原判決理由説示中の事実の認定に反する部分は、<証拠省略>に照らしていずれも措信できないし、当審における証拠中他に右認定を左右するに足りるものはない。

1  原判決九枚目裏四行目に「入場税事務規定第三一条第四項」とあるのを「入場税特別事務規定第三二条第四項」と訂正する。

2  当審における当事者双方の主張に対する判断。

(一)  被控訴人の、民事訴訟法第二五五条第一項本文違反の主張について

控訴人らの本件入場税賦課処分の無効事由に関する主張のうち、極めて恣意的、専断的になされた国税局長の過大な課税標準額の認定を基礎とした川内税務署長の本件入場税賦課処分には重大かつ明白な瑕疵があるとする点においては、原審と当審とで異なるところはないが、当審においては、その恣意的、専断的であるとする個別的、具体的事由が新たな主張として追加されていることが明らかであるから、これは新しい攻撃防禦方法に属するものというべきであるところ、本件訴訟は、原審において準備手続を経たものであり、しかも、右手続中、当事者双方が「以上のほか主張および証拠の申出は行なわない旨を合意」していることは、本件記録に照らして明白であるから、控訴人らの右追加的主張は、あたかも民事訴訟法第二五五条第一項本文に違反するかのようであるが、控訴人らの同主張は、結局、既になされた証拠調べの結果に基づき、新たな攻撃防禦の方法が最終的にまとめられたものにすぎないことが明らかであるから、民事訴訟法第二五五条第一項但書にいう「著ク訴訟ヲ遅延セシメサルトキ」に該当するものと解するのが相当である。したがつて、被控訴人の右主張は理由がない。

(二)  被控訴人の、無効事由不該当の主張について

しかし、行政処分の瑕疵が、無効原因として、その処分を無効とならしめるがためには、その瑕疵が重大であるとともに客観的に明白であることを必要とし、「瑕疵が客観的に明白である」とは、それが、当該行政処分の要件上、一般通常人の正常な判断をもつてすれば、その処分の瑕疵であることが明白であり、かつ、当該行政処分がなされた具体的状況のもとにおいて、その瑕疵の原因となつた誤認が、該処分の外観上一般人の目に一見して看取し得られる程度に明白であることをいうものと解するのを相当とするところ、控訴人らの、当審における本件入場税賦課処分の無効事由についての主張は、少なくともその全体を総括すれば、右の意味において、控訴人らの本件入場税賦課処分を無効とする法律的主張を理由あらしめるための具体的事実の主張に該当するものと解するのが相当であるから、被控訴人の右主張は、理由がない。

(三)  そこで、控訴人らの、当審における本件入場税賦課処分の無効事由に関する主張について順次判断する。

(1)  他館との興収の比較について

控訴人らは、国税局長の「若草東映」に対する昭和三一ないし三三年度の逋脱興収認定額が「日南映劇」の同期間の申告興収額と比較して著しく過大であると主張する。しかし、同一市内の近接する映画興行場であつても、その上映映画の種類、フイルムの借入方法、経営者の手腕、映画館の設備の程度及び宣伝広報活動等の如何によつては入場客の数及び興収額等に差異があるものであり、かつ、「日南映劇」の興収額及びフイルム料金の比率等は、いずれもその主観による記帳申告によるものであるところ、控訴人有村篤義が、本件入場税逋脱の摘発を受ける前にも、昭和三〇年一〇月から昭和三一年二月までの間の「若草東映」の個人経営に関して入場税逋脱の摘発を受けたが、その際の興収調査額に対する逋脱額の一日当りの金額と、本件での控訴人らの興収調査額に対する逋脱額の一日当りの金額とがほぼ同程度のものであつて、しかも前者の場合は、「若草東映」一館だけが経営されていたにすぎないのに、後者の場合は「若草東映」と「有楽映劇」の二館が経営されていたものであることは、さきに引用した原判決理由説示(第四の一)のとおりであるから、「日南映劇」の申告興収額との間の比較のみによつて「若草東映」に対する逋脱興収認定額を著しく過大であるとなすことはできないばかりでなく、<証拠省略>をもつてしては、いまだ「若草東映」に対する逋脱興収認定額が「日南映劇」の実興収額と比較して著しく過大であることを認めるに足りないし、他に右事実を認めるべき証拠はない

(2)  逋脱入場人員及び時間帯からの検討について

控訴人らは、本件逋脱興収認定額はとりもなおさず事実上不可能な大量の入場人員についての連日の逋脱を認めたものにほかならないと主張する。しかし、<証拠省略>をもつてしては、いまだ控訴人らの右主張事突を認めるに足りないし、他に同事実を認めるべき証拠はない。

また、控訴人らは、「若草東映」についての逋脱は夜間のみに限られていたにもかかわらず、本件逋脱興収認定額は、夜間入場者全員の料金を逋脱しなければとうていその額に達しないほど高額であつて、不合理であると主張する。しかし<証拠省略>中右主張にそう部分は、<証拠省略>に照らして採用できないし、他に控訴人らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そして、本件入場税賦課処分のためなされた逋脱額算出の経緯は、前同原判決理由説示(第四の一)のとおりである。

(3)  フイルム借上料からみた控訴人らの興収について

控訴人らは、本件逋脱興収認定額は、興収額とフイルム借上料との間の比率からして著しく過大に失すると主張する。しかし<証拠省略>をもつてしては、いまだ控訴人らの右主張事実を認めるに足りないし、他に同事実を認めるべき証拠はない。のみならず、<証拠省略>を総合すると、フイルム料金の比率は、国税局の内偵段階において机上検討の一資料とされているものであるが、他の各種資料と共に総合検討して入場税逋脱の嫌疑があるかどうかの単なる目安とされているものにすぎないこと、熊本国税局管内の映画館のフイルム料金の比率は、三〇パーセントから八八・六パーセントにまでおよび、同一行政区域内においても著しい相違があることが認められる(これを左右するに足りる証拠はない。)から、これによると興収額の確定は単なるフイルム料金の比率のみによつてなされるものではないことが明らかであり、また、同一行政区域内においてこのような著しい相違が生ずるのも、業者の記帳申告によるためであつて、これには逋脱摘発による数字がもとより加算されていないから、実際のフイルム料金の比率は、これよりもつと下回ることが多いものと推察されるところ、<証拠省略>によると、控訴会社の調査期間中におけるフイルム料金の比率は、記帳申告によれば平均六二・二パーセントであり、調査額によれば四三・七パーセントであることが認められるから、本来フイルム料金の比率というものが、内偵段階における興収額算定の机上検討の一資料にすぎないものであること前記のとおりである以上、後者の比率が特段に異常過少であるということはできない。

(4)  立会検査日等の逋脱について

控訴人らは、立会検査日の興収逋脱は事実上不可能であると主張する。そして、<証拠省略>には、控訴人らの右主張事実にそう記載がある。しかし、この記載部分は、後記の各証拠に照らして採用できないし、他に同主張事実を認めるに足りる証拠はない。のみならず<証拠省略>によると、映画館の立会検査には、大別して、終日立会検査と一定時間立会検査とのぞき検査の三方法があり、終日立会検査とは、映画館の開館と同時に税務職員が映画館に臨み通称モギリ台の傍に立つて、従業員の半片切取り及びその交付の状況等を入場者が殆んどいなくなる閉館頃まで継続して注視する検査方法であつて、これは一映画館について、一年に一回程度しか行われないものであり、一定時間立会検査とは、土曜日の午後とか昼休みの時間等に税務職員が映画館に臨み、まず通称テケツ(入場券売場の意)の所に行き、入場券の発売状況、受領した現金の現在高、それとモギリ台に置いてある半片の数の三つを検討し、次に映画館に現実に入場している人数を目算により検査し、その後、暫くの間、モギリ台のそばにいて、入場券の半片の切取り、交付の状況等を注視する方法であつて、通常一時間か一時間半位の間行なわれるものであり、のぞき検査とは、税務職員が随時、映画館に臨み、テケツ係の入場券の発売状況、受領した現金の現在高、モギリ台に置いてある半片の数を調査し、それから、館内の入場者の数を目算して、その当否を検討するという極めて短時間で終了する検査であり、のぞき検査は、夜間はあまり実施されなかつたが、一定時間立会検査は、たまに行なわれたことがある程度であつて、一つの映画館について、のぞき検査と一定時間立会検査の二つの方法をもつて一ヶ月に二回ないし四回ぐらい行なわれていたが、右立会検査は、同一映画館に対し同じ日に繰り返して行なわれることがなかつたため、立会検査のあつた日は、もはや再度の検査が行なわれないものとの考えから、逋脱行為を行なうのは比較的容易であつたことを認めることができる(これを覆えすに足りる証拠はない。)から、立会検査日における興収逋脱行為を事実上不能となすことはできない。したがつて、立会検査日の興収逋脱が事実上不可能であることを前提とする控訴人らの主張は、その余の点について判断をするまでもなく、すでに右の前提において理由がない、

また、控訴会社は、昭和三二年七月二八日は興収逋脱をなし得る余地のない休館日であつたから、国税局長が右休館日の翌日である同月二九日に興収預金ありと認定しているのは、極めて不合理であると主張する。しかし、仮に昭和三二年七月二八日が「若草東映1」及び「有楽映劇」両館のいわゆる休館日であつたとしても、同日は日曜日(銀行等の休業日)であつたことが明らかであるから、その前日である同月二七日の土曜日(被控訴人の主張する「日曜日等」に属する。)の興収は、これを早急に銀行等に預け入れようとしても、月曜日である同月二九日まで待つて預け入れるよりほか他に途はなく、したがつて、同月二九日に興収預金ありとしたにすぎない(同月二八日の興収を同月二九日に預金したとはしていない)右認定になんら不合理はない。

(5)  控訴人らに資産の蓄積がないことについて

控訴人らは、本件逋脱興収額の認定は、これに見合う額の資産の蓄積が存在しなかつたにもかかわらず、それがあえて無視されていたものであるから、極めて不合理であると主張する。しかし、間接税においては、所得税と異なり、売上金額が即課税対象額となる場合が多いのであるから、二重帳簿や別口預金等によつて、容易に売上金額等が判明または推認されるときは、それがどのように資産化されたかなどはさして問題となるものではなく、また、一般的に別口預金を開始した動機、目的、資産、経営の状態、負債、預金の多寡及び会計処理の相違等により、その多くが資産化されることもあろうし、また、負債の返還に充当されたりあるいは、生活費等に費消されることもあり得るばかりでなく、いんぺい方法が巧妙であるため資産が発見されない場合さえあり得るのであつて、一概にはいえないものであるところ、本件逋脱額算出の経緯は、前同原判決理由説示(第四の一及び三)のとおりであり、かつ、<証拠省略>によると、本件逋脱興収金中から、控訴会社に引き継がれなかつた控訴人有村の借入金の返済に約四三〇万円、有楽映劇の買収金の支払(控訴会社設立後の支払)に約三六〇万円、前回検挙された入場税法違反事件関係の納付金に約一二〇万円、不動産購入代金二口分に六〇万円、映写機の修理、シネスコ、ビスタビジヨンの購入代金等の支払に約一二〇万円、控訴人の個人借入金の利息に約三五万円、映画館の屋根等の修理代に約一四〇万円等の多額の金員が使用されていること、及び会計処理上のカラクリで会社の借入金として入金しているものが一三〇万円ばかりあることなどが認められる(これを動かすに足りる証拠はない)から、控訴人らの右主張は理由がない。

(6)  別名預金の検討について

控訴人らは、国税局長が別名預金自体の検討を十分になさず、また逋脱興収額の推計に当つて統一的な見解によらず、極めて便宜的な方法でなし、その結果、別名預金のうち興収によるものではない一二口分についても興収の認定をしていると主張する。しかし、本件逋脱額算出の経緯は、前同原判決理由説示第四の一及び三)のとおりであるから、控訴人らの右主張は、理由がない。

なお、控訴人らは、控訴人有村篤義及び同控訴人の妻有村時子の大蔵事務官に対する各質問てん末書(前者の分が乙第八、九号証、後者の分が同第五ないし七号証)が作成されるに至つた事情を述べ、同各てん末書はいずれも真実を伝えるものではないと主張する。そして、<証拠省略>には、控訴人らの右主張事実にそう供述記載部分があり、<証拠省略>にもまたこれにそう供述部分があるしかし、これらの記載並びに供述部分がいずれも措信できないものであることは、前同原判決理由説示及び前記のとおりであり、他に控訴人らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(7)  そうすると、本件入場税賦課処分に同処分を無効となさしめるほどの重大かつ明白な瑕疵(この意味は、前記のとおりである。)が存したものとなすことはできない。

三、してみると、原判決は、相当であつて、本件各控訴はいずれも理由がないから、民事訴訟法第三八四条にしたがつて、これらを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 桑原宗朝 大西浅雄 川端敬治)

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